生きて、生きて、生きて。
こんばんは、というよりおはようございます。むぎです。
早速ですが、この記事から、少しずつではありますが新しい試み始めます。
題して「1曲について熱く語ってみようやないか!!!!」という企画(??)
意味わからないことをつぶやきましたね…
私は割と音楽好き、、、という風に言っておりまして。
でもそんなにアーティストを知り尽くしているわけでも、コードとかリズムとか語れるわけでもない一視聴者なのですが。
ただ、そんな奴にでも、「うわ…この曲、完全に自分の体験や」とか、
「この曲の主人公の気持ち、すごくわかる」とか…かなり共感できる曲って
多いじゃないですか。
今回は特に私の心にぶっ刺さった曲に関して
私の実体験などを交えてちょっと語っていきたいな…と。
お酒片手じゃないとできないような記事ですが、私はお酒が飲めないので
コーヒー牛乳で行かせていただきます。(カフェインにも弱いのですが)
多少、くさくてなんか小説チックな言葉になってしまうのはお許しください。
あと、「この曲のこんな体験、書いてほしい」とか、
「この曲聞いてほしい!!!!!」とかあれば、ついったでもなんでも
送ってきてください。ブログへの反応、実はすごく楽しみにしています。
今日のお題は、「生きていたんだよな / あいみょん」
最初のピアノのメロディーを聞いただけで、私の心臓はちょっとだけキュッとなる。
最近、この歌詞と同じように2日前かな。
自殺配信をして、電車から飛び降りで自殺した人のTwitterのアカウントを見つけた。
友達も、いつかわからないけど、人身事故で電車止められた…って言ってたな。
人身事故。
この4文字で片付けるには重すぎることが、この世ではたくさん起こっている。
私には父がいない。
父が死んだときは鮮明に覚えている。人が1人としての一生を終えて、火で燃やされ、墓に入れられ、肉体としては存続しなくなる。
その光景を小さいときに間近で見た。人が死ぬことって、怖い。と思った。
人であれば100%死ぬ。死なない人間は、人間じゃないと思う。
でも、その命を自分で終わらせることができる人間は、
どのような心境で自分の命の終わりの時を、終わり方を、決めることができるのだろう…
私なら、できる限り生きていたい、って思う。
大好きなアーティスト、何なら最近行ったあいみょんのライブには絶対また行きたいし、V6の6人の25周年のライブなんて(あるかわからないけど笑)行きたいでしかない。
いっぱいおいしいもの食べたいし、素敵な人と出会って恋もしたい。
高校生の時教科書で出てきた「可能無限」を思い出すなあ。
可能無限。「また明日がある」という感覚。
今、このブログを読んでくれている人たちも、同じような感覚だとは思う。
明日何しよう、将来は何になりたい…このように考えることは無意味ではないけど、
本来無限ではないしいつかピリオドがくる自分の人生を無限のもののように感じて生きていく。私ももれなくその感覚の中に陥っているのだけれど、
そうするともれなく「死への恐怖」が襲ってくる。
何もわからない、だれもわからない、「死ぬ」ということ。
今自分が思い浮かべている人生が突然終わるというこの可能性を、
まだ私は信じられないでいる。
この曲で出てくる「彼女」は、セーラー服を着てた。学生さんだろうな、
自殺配信していた人は、わからないけど、まだ若い子だったのだろう。
私と同年代の子だったら、絶対に、もっともっと生きたいと思っていただろう。
本来はね。
ただ、その「生きたい」という思いは、その思いに何の関心もない人間たちによって平気に踏みつぶされてしまう。
何があった、とか、そんなことはいちいち言うつもりはないけれど
そんな1人の少年少女の「生きたい」という純粋な思いは、案外壊れやすい。
でも、壊れたからといって、すぐに死ぬわけでは、ないよね、
私も、死にたくなったことなんていくらでもある。
単純に寝坊したときも、死にたくなったよね。
受験勉強つらすぎて、本当に死にたくなった。
失恋したときも、こんな思いするなら死にたいと思ったよね。
でもたぶんそれは「死にたい」とはつぶやくけれども「逃げたい」という感情であって、時間がたてば消えていくものなんだろう。
ただ、こんな些細なことでも、積み重なっていけばどうなるだろう。
さらに、少年少女だけではないけれど、1人のこんなつらい思いをみんなが見て見ぬふりをして、なんならその思いを馬鹿にして嘲笑って、「死ねばいいのに」なんて言う人しかその人の周りにいなかったら?
私は、正直今のままで生きていけるとは思えない。
もしかしたらこの曲の「彼女」も、自殺配信した彼女も、
「生きたい」という本来持つであろう気持ちを持てないほどの絶望を味わっていたのだろうと思うと本当に心が痛くなる。
でも、やっぱり、それでも。
自分で自分の命を終わらせる。
こんなに大きなことをした人がただの「社会からののけ者」のような扱いで、
その一瞬だけ「ご冥福をお祈りします」なんて言って終わる世界。
非情だなあ、と思ってしまった。
曲の歌詞には、「精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ」とある。
こんな素敵な言い方あるかな、と思ってしまった。
不謹慎な思い出は受け取らないでほしい。本当に。
この世からの「さよなら」を自分自身に告げること、その勇気とその決断に至るまでの思いと、その決断をしてからの世の中の見え方。
私にはそれがわからない。でも「人身事故」という4文字で片付いて、
「電車止まるじゃねえか、迷惑だな」「死ぬなら1人で死ね」などど言って
自殺者を見つめる人が減らない限り、この子たちの世の中の見え方は変わらないんだろうな。
生きていくこと、ということの中に「死ぬこと」は含まれる。
いつかのテレビ番組で見た。
安楽死などの言葉もある。今、自分で自分の人生にピリオドを打つことが人間としての尊厳を守るうえでの課題になっていることはよくわかる。
ただ。
生きて、生きて、生き抜いて死にたい。
この悲痛な思いを踏みつぶしていく人たちによって人生に絶望し、
「死にたい」という最後の言葉も残さずに死んでいく人や、
「最後に生きた証を残したい、だれか見て」というメッセージかのように
公共の場で自殺を決行したり、ネットに配信して最後のメッセージだけを残して逝く人。
この死に方については、私はどうしても、許せない。
「こういう死に方をするな」とか、
「死ぬ前に一回考え直してほしい」「生きていたらいいことある」
このような言葉をかけたいわけではない。
このような死に方として自分の人生を歩ませてしまったという事実が、やっぱり許せないのだ。
自殺配信をさせた人の投稿のコメントに、「それは自殺じゃななくて殺人だ」と言っている人がいた。
そう取れるような死に方かもしれないな、と思った。
問題提起をしたところで(このような問題提起をしている人はたくさんいるだろうけれども)、1人の小さな意見に耳を傾けられるような人は非道徳的なことはしないだろうし、残虐なことを残虐だとも認識していない人には届かない言葉なんだろう。
ここまで考えたところで、ちょっと悲しくなってしまったから
キヨのマリオカート実況を見ながらブログを書いていたのに、
どうしようもない悲しみと怒りが込み上げてきてうるっときてしまった。
自分で自分の命を終わらせた人には、私は称賛の声をあげよう。
ただ、「生きたい」という純粋な思いを潰し切った人に対しては、
私は永遠の罪悪感と後悔の念を差し上げたいと思う。
でも少なくとも私はこのような殺人の加害者にはなりたくないし、
人生への希望を持ってほしいわけではないけれども
人生を絶望させる原因を根絶させられる大人になりたいと願っていきたい。
そして隠れたメッセージを見つけてあげたい。とは思う。
この曲を聴いていると、最初は
「人身事故」に対して、写真や動画を撮ったり、テレビで話題に挙げるだけあげたりして、「自殺」に対してのマイナスメッセージを投げかける人だけに対してに向けたものかな…と思ってた。
でも、聞いているうちに、自殺した後のそのような人々の反応も含めて、
1人の人間をこのような判断にさせるような原因を生み出していく世の中に意見しているような、そんな歌に聞こえてしまった。
あいみょんの歌には不思議と、「死」について歌っている歌でも「生」を感じる、生きることについて本当に純粋に向き合っている人なんだと思う。
今は私も死ぬのが怖い。
でも死ぬことが怖いし、まだまだ生きていたいと思えるくらいには
周りに恵まれているんだなあという風には感じる。
せめてそんな風におもわせてくれる周りは大事にしていきたいなあ。
これ…長文になりすぎる!!!!笑
でも深夜の考え事としてぼちぼち書いていくのはものすごくありだな。
決して自分の体験とか考えは非凡なものではないし
平凡な考えを平凡な言葉でしか伝えられないけれど
このような形にして残していけることには幸せは感じます!!!
ではまた、今日も1日、まあ生きていきましょう。
2020.2.22 mugi
≪ 本日の1曲 ≫
どうせ死ぬなら / あいみょん
これも好き。最近はあいみょんの昔の曲をよく聞いています。
今とは違う棘があってすきなんだよなあ…