ブスというニックネーム
おはようございます。むぎです。
今日も朝早いね、と思われている方、私は寝ていないだけです。笑
今日は、昨日起こった「私の人生観を変えそう」をな出来事をお話します。
突然ですが、みなさんは自分のことをブサイクだとか、かわいいとか、
思ったことありますか?わたしはあります。
ブサイクだとも思ったことあるし、かわいいとも思ったことあります(この顔で)
だって自分の顔しか知らないんだもん。笑
昨日は、またバイト先での出来事。
好きな人とか、好きなタイプとかの話をしていたんですよ。
まあ、好きな顔とかの話になるんですよね。で、中学生の女の子の生徒が
「目があいてない人はやだ!(目が細い人のこと)」
その時私、男の子の大学生(バイト)、女の子の生徒2人と話していたんです。
そのうちの男の子が、そのセリフの後に私を見てきて、「…ドンマイ!笑」
「いけるいける、大丈夫(笑)」みたいな励まし(笑)をくれました。
その時私はかなり傷ついてしまいました。
もう20歳。自分のこと20年も見ています。目が細いこと、笑ったら目がないこと笑、
全部、、、わかっているつもりでした。
でもその事実を伝えられえたとき、、本当にズキッってきてしまって。
そのあとの会話あんまり覚えていません!!!
きっと、逃げていたと思うんです、自分の顔、体、性格の醜さから。
でもその時一番悲しかったのは、自分が「目があいてない人」という謎のカテゴリの中に入れられていたことと、さらにそれが恋愛対象とかの条件みたいな感じのカテゴリだったことなんです。
無意識に私たちは人をカテゴリの中に入れてしまっているなあ、と、思いました。
ただ私の中でなんとなく許せないポイントは、容姿についてのカテゴリ化が圧倒的に多く、よく表れてくるというところです。
(ブスだから社会に対して僻んでいるだけだろ、痛々しい…と思った方、
その考えも正しいです。実際これ僻みでしかないんだよね…)
(でも、僻みが出てきて、その僻みが笑われる社会、それは正しい社会ですかね)
かといって、私はその生徒に好かれたいわけでも、男の子の大学生が好きだとか、
そういうわけではないんです。恋愛感情なんてむしろ皆無です。
ただ。自分が「目が細い女」「胸がない女」「くせ毛の女」「眉毛がきたない女」
(かなしくなってきたね!)と言われてしまったようで、「○○な女」と言われたこと、ただそれだけが悲しかったのです。
自分を「〇〇な女」。と言われて、カテゴリに入れられ続けて、
「私はこのような女なんだ」と受け止めざるを得ない状況が続いたら。
自分の自信がどんどん下がっていって、
誰かを好きになれなくなる。話しているだけで申し訳なくなる。
「ブサイクな女」なんだと、自分の価値を下げる行為につながる。
「自分への自信のなさ」がまねく悪影響につながりやすいです。
実際、自分もそう。
いじめとか、そんなんではないんです。
「ブサイク」に悩まされてきた人だけでなく、「かわいい」を保つため、
まわりの目をごまかすための過剰な努力をしてしまって心が疲弊してしまう人。
そういう人も、「容姿」をカテゴライズする人間社会の被害者なんじゃないかな、と思います。
みんな加害者であり、被害者です。
韓国のアイドルのような可愛さ、ヨーロッパの白人の方のような可愛さ、
黒人の方のなんともいえない美しさ。この世にはいろいろな「美」があります。
でも、私たちには「顔のここがこうなっていると美しい」という
「美」の条件を付けてしまっているような気がします。
その条件の下、自分はブスだと決めつけたり、あの子あんまりかわいくないよね、と思ったり、芸能人やアイドルに対して「ブスだ」とかいう匿名コメント投げつけたりするのです。
「美」の概念は人それぞれですが、それを押し付けたり、共通の認識のようにしてしまうと必ず被害者が出る。その被害者は、まったく影響を受けない人もいれば、鬱のような症状になってしまったり、整形をくりかえして「自分の顔面が醜い!!!」という考えで生きていってしまうかもしれない。
私はそういう風潮の中にいる自分が大嫌いです。
だってその中にいたら自分は確実に「ブス」に分類される人種であって、
そんなことわかりきっているけど、「ブスは話すな」「でしゃばるな」「ブスがやるときもい」… なんとなく、このような、無言のメッセージが聞こえるように感じてしまうからです。
人々が私を振り向くときの顔は「素敵な人だな」とかそんなんじゃなくて
ただ振り向いただけかもしれないのに、「くさいな」「うわ、鼻にいぼついてる、取れや」「きもいな」と思いながら振り向いてるんじゃないかな。
一時期、そう思ったときはありました。自意識過剰ですが、「ブス」の一言から
こんなに派生するのです。自分の気持ちが。
「そう思うんだったら自分磨きしろよ」「努力していないブスが大嫌い」
この意見には私も賛成します。努力している子はかわいいなと思える。
ただ、それを「イタい」とかいう人がいるんですよね。
少なくとも私はそんなこと言う人間にはなりたくないけど。
私が思うに、自分の顔にお金をかけるという努力をしない限りは
きっと自分の顔は「ブス」というカテゴリからは抜け出せないんだろうなと思っています。整形したいとは今のところ思ってないですけどね。憧れはしますよね。
前の出来事の時も、なんか「今が一番かわいいよ、垢抜けたねー!」と言われたから、私の心はまだマシなのでこれからも頑張ろう、、、くらいの気持ちではありますが
その状態でも「いけるいける(笑)」の意味を考えるとなんか、
馬鹿にされているようにしか思えないというのが正直な本音。
結局はブスというカテゴリの中の、「まだマシになってきているブス」というカテゴリなんだなと思いました。ひねくれすぎていますね。
自分も書いていて嫌な気分になってきたので話題を変えます。
さて、そんな「ブス」として20年間生きてきた私です。
なぜかわからないですが、最近は自己肯定感が上がってきたということもあり、
自分の顔がそこまで嫌いじゃなくなってきています。
あきらめたのかな、笑。
このようにカテゴライズされた自分の顔の特徴とともに生きていくために。
タイトルにもあるように、「ブスというニックネーム」を外してあげるために。
正直、意識改革がすべてだと思います。
今まで、「周りを驚かせよう」とか、「かわいく思われたい」とか思ってまわりの反応を目当てにダイエットしたときもありました。でも、ダイエット2日目。太っていることを馬鹿にされました。ダイエット、やめようかと思いました。
周りの反応は、ごめんなさい、きっと変わりません。
特定の人は変わると思いますし、劇的な変化を遂げれば変わると思います。
でも、その変化は、2か月とか1か月とかで変われるものってあんまり多くないと思うんです。。
ならどうするか、、、
やっぱり「自分の意識改革」なんですよね、、、難しいんだこれが、、、
「自分を好きになる!」
というコラムをよく見かけますが、そんなんできるわけない。ブスだもん。
ただ、例えばパックをする。肌がきれいになる。
そしたら自分の強みとして「肌磨き」を頑張ってみる。
パーツは終わってるし、油田は油田なんだけど、化粧したては「ツヤ肌」。
それができたら、家出た瞬間の自分には自信、持てませんか……?
私はそんなんで自撮りをしてみたり、髪の毛かきあげてみたりしました。
すみません。。。。
当然、周りは別にそんなこと気にしません。
どうせブスです。でもそんなこと見ません。
とにかく今日の自分の肌はきれいなのです。
自己満足です。でも、その自己満足の繰り返しが自分を変えていくのです。
きっと。
「自分のたりたいことをやる」「まわりの目に流されないで」
そんなコメントもよく見ます。
これを、都合よく解釈して生きていくことくらいが、私にできることなんじゃないかなと思っています。
まだまだ、周りに「目が小さいね」とか「ちょっと太ってるよね」とか言われると傷つきますし、その都度その都度この世界を呪いたくなります。
そのコンプレックスはもう頻繁に表れます。でも大丈夫です。
私にしか知らないチャームポイントはありますし、こだわりもあります。
そんなん言わないけど。笑
所詮、私のそういうところしか見ない人はそこまで。
という考えになれれば、もう自分の顔の有効活用の仕方、わかるようになってきているんじゃないでしょうか。
私はまだまだそこまでじゃないですが、日々、自分の好きな自分でいられるように
頑張りたいなあと、、、思っています。
春休みはすっきりリフレッシュして
また大学では毎日ちょっとずつ自信がなくなってくるけど
自分が壊れていかないように工夫して生きていけたらいいな。
そして、いつか、私も人の容姿のことをカテゴライズしたくないし、
安易に「ブス」とか言ってしまうやつが消えればいいな。
長くなりました!
ではでは~!!!!!!!
2020.3.3 むぎ
あ、今日はひなまつり。
女の子の日ですね!
≪本日の1曲≫
I'm Here/ 三浦大知
「何もない自分をただ生きていけばいい」という歌詞。
うん。ささりすぎています。
全三浦大知さんの曲の中でこれは最高に好きかもしれん。