空気の中にいる自分
こんばんは。夜中4時にブログを書いています、
むぎです。
お昼寝しすぎた。
もうすぐ大学始まるから、今学期はちゃんと行かなきゃだめだから、頑張ります。
以前の記事「10代から卒業する前に。」、たくさんの方に読んでいただいたみたいで、
すごく嬉しく思っています。
URLこちらです↓↓↓
10代から卒業する前に。 - まいにち、すこやか
これからもたぶん気まぐれですが、
どうぞよろしくお願いします。。。
20代になってやりたいことといえば、やっぱり合法で飲むお酒なのですが。笑
はじめて飲んだお酒はめちゃくちゃ美味しい梅酒の試飲でした。
そのあとは、旅館で
ほろよい。
これめちゃくちゃ美味しかった!
お酒弱いので1缶でまっかっかになります。
典型的飲めない人なのですが、カクテル飲みたい。。。bar行きたい。。。
いろいろな夢が広がっています。
いやあ、その場その場でやりたいことってすぐにぽんぽん出てくるものなのですが、
自己実現的なやりたいことって全然出てこない。すぐ出てこればいいんですけどね。
ちょっとやりたいことノートでも作ろうかな〜と思っています。そうだ明日作ろう!
やりたいこと、と言っても毎日毎日
「夢がない!」とか言ってられないので
とにかくやるべきことをやらなきゃなあ、と思いながらやるべきことでさえきちんとできていない毎日なのですが。
経験談って少ないなあ、と
思いまして。
思い出の中にとどめているからなのか
自分の経験が単に少ないからなのかわからないですが、人にパッと話せたり、ちゃんと思い出せる経験談が少なくて。
こりゃああかんな、と思ってきた。笑
ずーっと、自分は中身のない人間だなあ、と思ってましたが、たぶんそれは記録していないだけだろうなあー、と気づいてきた。
たぶん相手のことを「こういう人なんだろうなあー」というフィルターで見ているのも、自分の中にはそういう目でしか見れないからなんだろうけど、はじめて見るものでもないのにそうなるのは、自分の中で何も溜め込んでいないからだろうなぁーと。
だからそういうことをちゃんと自分の中にとどめておこう、と最近思います。
さあ今日はなにをした!?というところで全然出てこないのが私らしくてきらいです。笑
今はね、ヨルシカを聞いています。
エモすぎて……あの……寝れません。
才能の塊なんだろうなあと思いますが
やっぱりひとつの物語のようにアルバムを作ることが一番好きですね。
めちゃくちゃにわかなのですがね。
エルマ、本当の意味を知りたいなと思いました。
だらだらだらだら、そんな日もあるから
許してください。
そろそろ朝が来るのでもう寝ます、、
皆様もよい一日を!
お過ごしくださいませ!
2019.9.25 むぎ
《 本日の1曲 》
雨とカプチーノ / ヨルシカ
雨の日にはこれ。
ヨルシカのギター担当の方誰か知らないけど、
ぽろぽろ引くエレベが好きすぎます。
10代から卒業する前に。
こんばんは、むぎです。
皆様、お元気ですか?
大学生のわたしはまだまだ夏休みです。
楽しみたいなあと思っていますが、
強烈な金欠に悩まされてもいます。。。
そんな私の個人的ニュース。
明日、20歳になります。
節目の日ですね。
まだまだ、自分がこの世に生まれ落ちてから20年が経ったなんて信じたくもない事実です。
20年間。
どんな人生を歩んできたのかなあと、
ふと考えました。
幼稚園の時以下は両親の愛をたくさん、たくさん受けて育ちました。なんかマウント取ってた気がする。性格はこの時から少し悪い。
小学生の時は自分の意見が言えず、周りからの意地悪に純粋にへこみ、恩人の先生にも出会いました。
10歳の時には父を亡くしました。
今でもこの時のことは鮮明に覚えています。
お父さん、私もうあの時の2倍の歳になったよ、
中学生の時は激太りしました。(いまも痩せてません、笑)
だんだん社会の中での自分の立ち位置というものを認識するようになり、夢と現実の乖離に悩まされていました。
高校生の時ははじめて落ちこぼれることを経験しました。と同時に、「やりたいこと」というとてつもない壁にぶつかり、ひたすら自分を見つける期間がはじまりました。
大学生はとにかく経験、経験、経験の日々です。楽しいことも、苦しいことも、たくさん、1人で経験しました。
こう見ると、主観的にはたくさんの変化がありましたが、客観的に見ればそんなに、、非凡な毎日は送っていません。
こんなただの平凡な女の子が20歳になることなんて、社会では何の変化でもありません。
ただこの世界に生きる1人の人間として、
日本人として、
20歳になるという自覚と責任が
いまずっしり心の中に溜まっています。
今までの自分の未熟さは10代だからこそ許されている部分もあって、20代になれば当たり前だろ、とされることが沢山あると思います。
自分はまだまだ、そんな経験をしていない。
いや、そういう経験をしようともしていなかった気がします。社会は厳しいですからね。
経験してないからといって許される世界ではないから、ちょっと怖い。
……………オトナになりたい、オトナになりたい
と言い続けてきた10代ですが、いざ大人になる!となるとなりたくないもんですね。
かなしい。笑
ただ、10代の時に見ていたような大人ではないかもしれませんが、
今の自分の中での良い意味での「大人」を
これからも目指していこうと思います。
「君たちはどう生きるか」という本に、
自分が世界の中の中心ではなく
小さな1粒なんだと自覚できない人間(自分が世界の中心だと思っている人間)は立派な人間にはなれない
という意味合いの言葉が出てきていたような気がします。
それはまさしくそうだと思っていて、
今でも、「自分はちっぽけなんだなあ」と
思えていること自体素晴らしいことだと感じています。
わたしはこの言葉のように生きたい。
歴史に残らなくても、目の前にいる人を幸せにできるような存在でありたいなあと思いますし、社会の中の1人として、小さくともたくましく生きていきたいなとも思っています。
10代の時のような悩みばかり抱え続ける奴だし、直すべきところばっかりのでこぼこ人間ですが、こんなやつと仲良くしてくださっている方に感謝しつつ
一歩一歩、進んでいきたいですね。
ここまで読んでくださって
ありがとうございます。
なんか書き留めておきたくて、
くっさい言葉失礼しました!
2019.9.17 むぎ
《 本日の1曲 》
花 /中孝介
これは名曲(1言かよ)
自分のために犠牲にする
おはようございます。むぎです。
毎回、このブログを執筆(と言っていいクオリティじゃないけど)するときはめちゃめちゃ朝早くやし、ついでに徹夜明けなのでなんか脳が疲れないと何も出てこないのかなと思い始めてきました。
最近は、資格の勉強を始めて母から多額の投資を受けたにも関わらず
教材めっちゃ届くけど全然消化しきれてなくて焦ってます。
でもめっちゃ遊んでます。馬鹿。。
頑張らなきゃ、と思ってしまえば破綻するので
とにかく今は習慣化しなきゃダメなんですけどね。できないね。
そんな話がしたかったわけではない!
でもどうやって本題に入ればいいのかわからん!
いつまでもわからん!
突然本題に入ります、はい、いきます。
頑張ろうと思うことへの犠牲、取捨選択が必要な時。
今までの人生でめちゃくちゃ多くあると思います。
人間関係、仕事、趣味、髪型、買うもの、本当にいろいろ。
軽いことから重いことまで。
今の自分には、だいぶ重い形で表れてしまいました。どうしよう…
ついでに自己肯定感が低いと、「私なんかが選択していいのか」とか思っちゃうんですけど、全然大丈夫なんですよ。思いっきり決めちゃってください。
でも、たいていの場合は、残しても捨てても自分は傷つく。
この世の中、傷つかない人間なんてどこにもいないし、傷つくという感情があるのが人間らしいですけどね、やっぱり、つらい。
あまり個人的な事情をブログに書いたこともないし
いまいち伝わりにくいメッセージばっか上げていたと思いますが
今回はなんかもうある意味どうでもよくなった(?)ので書きます
私、最近、あるひとに別れを告げたんですよ。
少し長い間、私を大事にしてくれてた人。そして、寂しがり屋にした人。
ディズニーにも一緒に行きました。幸せだったんです。
細かいことはここでなんて述べるつもりもないし相手にも失礼なので
何も言えませんが、
このままずーっとこんな関係でいれたら幸せだろうなと、思ってました。
でも同時に、すごく冷たい目線で「この人といてもただ楽しいだけかもしれない」「自分の心が満たされているわけでもなく、今はただこの関係を存続させるためだけのために動いているのかもしれない」と思うようになりました。
今までそういう目線で人間関係を考えたこともなかったので、
自分でも驚くほど冷静で冷酷な自分が出来上がってしまいました。
それからはまた長い間考えて、別々に生きることを選んで傷つくことと、この関係を続けていくうえで傷つくことを天秤にかけてみると、
圧倒的に後者の方がつらいなあ、と思ってしまったのでこの決断をしました。
後者を選ぶと、きっと自分の性格がつぶれてしまうなあと思ったから。
結局、相手のためを思って自分をつぶしてしまってはダメなんです。
自分の性格や人格をつぶそうとする人とはもっと。
すごく精神的に満たされない感情は確かに強い感情ですが、
その感情にのまれてしまったら結局すごく傷つく結果しか迎えない。
だから、私は自己肯定感低い(と思っている)し自己嫌悪激しいですけど
結局自分大好き人間ですので
いくら好きな人でも、自分の性格を曲げなきゃ一緒にいれないなあと思って
これはお別れすべきだ、と思ってしまいました。
未練は少しはありますし、寂しさは結構ある。
でもこの感情をしっかり整理してあげれば、すごくすっきりする。
心がめちゃめちゃ軽くなりました。
自分の生き方は限りなく不器用だし、揺れて揺れて揺れてばっかりなんですが
この自己満ブログをここまで読んでくださっている心のきれいな方々と
どうか、自分を大切にして生きていきましょう。。。
出会いと別れを経験して、はじめて激しい感傷的な気持ちと穏やかな気持ちを
知ることができました、自分でもびっくりすることばっかりだったなあ。
うまく言葉にできなくて、結局1か月くらいずっとため込んでました。
本当にすっきりした!!!!
いつまでも言葉選びが下手ですみませんね、精進しようというよりも
楽しもうという気持ちが今は強いので
いつまでも自己満ブログです!笑
2019.8.29 むぎ!
≪ 本日の1曲 ≫
speechless / Naomi Scott
アラジン観てから本当に毎日10回くらい聞いています…
とっても感情的な歌。
表現する、観てもらう、評価されること
こんばんは。むぎです。
また更新が遅くなりました。笑うしかないほど遅くなりました。
こう、、、たまに気分になるときを待っていた方がよさそうです。
ごめんなさい。
最近は、youtubeで「ラストヒロイン」という動画と「ドラグァクイーン」という活動をされている方の動画をよく見ます。対照的でおもしろくて。
ラストヒロインはオーディション動画なのですが、ダンス・歌・演技ともに「万人に認められるアーティスト」として選ばれる人材を育てる(?)選ぶ(?)番組です。
コンセプトは「世界一厳しい芸能学校」。先生たち、鬼なんですけど
人間味あふれてるドラマみたいでなんか好きです。
ドラグァクイーンの人たちについては詳しい定義などを調べたことはないですが、いわるゆ「ゲイカルチャー」という感じです。女の人を誇張した感じ、と動画の中の人でも、人それぞれに「目指している姿」があって、「自分のなりたい女の人になる」という気持ちの人が多くて、周りの目を気にせず「自分を表現する」ということを徹底されていて素敵だなと思っています。
世の中で表現活動をしている人以外にも
SNSをつかっている人ならわかると思いますが
「自分の声が他人に届く難しさ」って必ずあると思うのです。
私も昔は、、、というか今もですけれども「自分を表現する」ということが好き、というかそういうことをしたいなと思っています。
でも、いろんな人がいる世界で、いろんな人の活動が見える世界で
すべてにおいて「平凡」な人間は埋もれていくし、
どこかで非凡さ・特別さ・特異な性格・才能が求められる世界だと思う…
楽しんでいたいのに、楽しめないし、
劣っている部分があれば平気でたたかれるし人格の否定なんてよくある、
そんな世界ですよね。
自分を表現したいけど、「表現」って自己満足なものにとどまると「発表会」になるし、自分も生きづらい世界になる。でも、見えない、どういう反応をしてくるかわからない相手に向かって発信するから、「相手」のことばかり考えていたら自分らしさが欠如したただのログインロボットになってしまう。
生きにくい世の中ですよね。ほんとに。
ちなみに自分の話を少し挟むと、
自分はわりとロボット人間です。
不器用なんだけど外面では平凡、くらいに見せています。
とにかくメンタルが弱いから、怒られることを避けて
できるだけ多くの人と仲良くなる、というか気に入られる、というか
それを中心において人間関係を築いているようなところがあります。
最近人間関係の断捨離をした、と1か月ほど前に報告しましたが。
その時から少しずつロボットからは抜け出しているような、
なんとなくそんな感じもします。
平凡を楽しめれば、それでいいんですけどね。
認められるような活動をしようと思えば平凡ではだめだし、
自分のまわりにいるような人たちだけでも非凡な人たちばかりなので
日々刺激を受けています。
自分の中にないものからはなにも生み出せないので
なにか、生み出そうと必死なのですが
絞りとってもなにも出ない。とほほ。
眠いので今日はこれで。明日はもう少しまじめに勉強しようっと…
おやすみなさい
ただいまです
お久しぶりです。むぎです。
1週間前には夏休み始まってて、やったー!っていう気分のまま過ごしていたのでブログのことを考えていなくて、全然更新できなかった。
申し訳ない。頑張ってたわけではないのですよ。
さて。
まず2週間の間になにがあったの?と聞かれますとはっきり答えられないのですが
自分の中で「進む道」「捨てる道」を決めました。人生の断捨離、かな。
気づいたことは少ないかもしれませんが、
生き方を楽にする方法ではあったので、ぼちぼち書いていきます。
私が今回、捨てたことについて、一番捨てるかどうか悩みました。
人間関係を捨てたのです。あはは、無慈悲な人だね、自分。
私のことを裏面までよく知ってくださっている方はどのような方かは想像つきますかね。
でも、その人が嫌いだったから・その人に傷つけられたから、などの
理由ではありません。
ただ、「その人と一緒にいて幸せになれそうにない」「その人と一緒にいて自然にいられない」と感じたから、なのです。
以前までは、こんな利己的な物差しで人間関係を見たことなかったし、私の周りの人にもこんな物差しを使う人、少ないと思います。
でも、この物差し、自分にとってはすごく良いものになりました。
友達・恋人・家族と一緒にいて、なんとなく相手の波長に合わせている。
なんとなく外側の自分を見せている。
割といろんなタイプの人とかかわれる人は、少なくとも「自分」よりも「相手」を見ているような気がします。
私は特にその傾向が強く、相手の波長に合わせる方が楽でもありました。
でも、だんだんつらくなってきて。
偽った自分を気に入ってもらえている、という感覚。
恐ろしくなったのですね、単純に。
怖くないですかね。家にいる干物女の姿を見たら、どう思うか。
振られる可能性の方が高いよな。ならもっと着飾らなきゃ。もっとちゃんとしなきゃ。
…こうなります(なりました)
自己肯定感も低い人間だと、「偽っている自分でも認めていてくれている、そんな素敵な人を捨てられない」と考えたり、「外面だけでもちゃんとしないとみんなから嫌われる」という感覚に陥ります。これが、我慢をし続けていた大きな原因でした、ね。
一人になると、むなしくなる。何をしているんだろう、と思うようになる。
この人に認められることが存在意義なのではないかとも思う。
依存の始まり。おめでとう。笑(なにわろてんねん)
個人間の人間関係ですから、お互い深くかかわっていく中で依存関係は全然ありだとおもいますし、信頼関係として築き上げられるものであれば本当に素敵なものだな、と感じます。
ただ自分にはその「依存」の傾向がネガティブなものでしか生まれなくて、
自分の内面を他人に見せることがなかなかできない自分にとっては
どうしても許されないことだったんですよね。ダメな人間だなあ。
だから、もう、捨ててしまおう
と思ってしまいました。2か月前くらいから。
どう変わったか。特に日常は変わってないです。普通の日常。
むなしくなることも、つらくなることも、病むこともたくさん。。。。
ただ、少し自己肯定感が高くなったような気がします。
自分本位で決めた決断には、しっかりとした意思が必要ですし
その意思を持てた自分は、最低限褒めようか、、、という感じに。
自分を大切にできないと、人間関係でも、自己実現においても
本当に障害になってしまう。
自分が嫌いな人たちは、「嫌い」という感覚のせいで
なにも行動できないこと、ありませんかね…
ショッピングに行ったときに、「こんな自分には似合わない」
「こんな自分が入るところじゃない」、そんなことばかり考えていた気がします。
それが自分にとって当たり前だった、この事実に
自分自身少し驚いています。
ひさびさのブログだったので、本当に拙い日本語能力でごめんなさい。
自己肯定感を上げるための自分磨き。
しっかりしていこうと思います。
自分なりの見方があるはず、、、なので
ちょくちょく自分磨きのことも更新していきたいなあ。
何をブログに書きたいのかわからなくなってきましたね。
このへんで今日は終わっていきましょう。
また、書きたいことができたときに書きます。
更新頻度上げなきゃなあ、、、、、ってもう半年前から言ってますね。。
がんばります!よ!
2019.8.9
≪ 本日の1曲 ≫
別の人の彼女になったよ/ wacci
この曲、メロディーももちろん大好きなのですが
「別の人」の表現やらなんやらがもう、、、、刺さる、、、
最近の切ないソングですね。
さよならぐっばい(休止します)
おはようございます。むぎです。
最近はパソコンからブログを更新しているんですけど、なんかレポート書いてるみたいな気分です。(レポート書けよ)
今日は、そんなに大きくもないけれど私にとっては大きなこと、
いやそんな大きなことではないお話です。
夏休みあたりまでブログ停止しますー、あと
SNSは夏休み始まるまで休止します!(わーい)
学業に専念する、とかいういかにも芸能人みたいな理由入れておこう、笑
もちろんテストはめちゃめちゃやばいんですけれども。
なんかそういう感じっじゃなくて、単純に
私このままでいいのか、、、?
みたいな感情がめちゃめちゃ襲ってきていまして、なんか怖くなってきたので
自分の人生における取捨選択をちょっとしようと思って。
(人には迷惑かけないスタイルで頑張ります)
夏休みまでの期間なんてめちゃめちゃ短いし、
そんな短期間で成長できるわけないと思うんですけれども、
「どうしたら成長できるかな」ということを
しっかり考える2週間にしたいと思っています。。。
とりあえず単位が耐えればいいかな、笑
これからのためにも勉強に集中する2週間にしますね、
いろいろ読んで、観て。ひたすらインプットできる期間にします。
また夏休みになったらもう私の言ってた「新しいこと」に本格的に挑戦する、というかもう挑戦を始めなければならない状況になるので、ブログの更新頻度は高くなったり逆に低くなったりするかもしれません。そこらへんは良くわからないです!
需要がある限り頑張りたいしいろいろ自分勝手に発信していきます。
ではまた2週間後ー!
2019.7.12 むぎ
≪ 本日の1曲 ≫
快晴 / orangestar
夏はやっぱりorangestarさんの曲がやばいほどに合う。
この曲は初めて出会った曲でもあるし、1番好きな曲でもあります。
…夏って儚いよね。
失敗を活かすも殺すも自分自身
こんばんは、
そろそろ大学も、周りのみんなも、テストモード。
そんな中のんきにブログを書いている底辺大学生、むぎです。
突然ですが私、
今期の単位にとって割と重大なミスを犯しています。
「英語の中間テスト、寝坊で欠席」
はい。Fまっしぐら~~~~!
もうF評価の覚悟はできています。なにより自分の過失なのでもう誰にも救済してもらえないし逆に責められるのみ。どうぞ、クズだと言ってください。
再履の授業をいったん味わっておこうかな、そんなメンタリティになってしまっています。割とクズ。でもやってしまったことは仕方がない。
今は期末テストに向けて「100点目指すぞ」って勢いで勉強しておりました。
正直80点でも単位自体は危ういので100点とらなきゃだめなんです。
どんな状況だよな、
でもやっぱり、「なんであんなことしたんだろう」
「無理して5時まで勉強して、アラームもかけずに寝落ちしたからだろ」
「お母さん、起こしてくれたらよかったのに」
失敗からは後悔しか、今は生まれていません。
でも大概そうだと思います。
「やらかした!!!!!!!!!!!!!!」ってことからは、
「もう同じことをしないでおこう」これしか生み出せない。
だから期末テストではもう同じことはしないし、
自分のできる範囲のことはやる。そう決めています(今も自分に言い聞かせている)。
これを読んでくださっている方は、「あーこんなクズもいるんだな」と
思っていると思います。それか、
「こんなことでくよくよしてんなよ心配症が。いっそ落とせや」って方も
いらっしゃるのかな。
ここからが本題、、、、かもしれない。
失敗って実際活かせてんの?
という悩み。私にはめっちゃあります。
もう過去は変えられないし、自分が変わるしかない。
でも、同じことをしない!っていう単純な解決策だけでは、正直また違うミスをしてしまうよね…(私は同じミスを何度もするかなりのクズです)
問題解決能力と、危機管理能力。
これが必要です。たぶん。少なくとも私の人生には。
「今起こっていること」「起きてしまったこと」をふまえて、
「何をすれべその状況が少しでも良くなるか」を考えて行動し、
「自分に足りていないこと」を分析し、
今後には
「できるだけ自分の過失によるミスをしないように対策をする」
力をつける。
ここまでできて初めて、「失敗を活かせた」といえるのではないかと、
なんとなく思います。
今回の私の事例を例にすると
「夜中まで勉強していたせいで寝坊してしまい、テストを受けられなかった」
という理由があり、
「一夜漬けの勉強」「寝坊対策の弱さ」「自分の意思の弱さ」などが
目に見えたわけです。
そこからはもうこの3つの改善はもちろん、
「テストの日程をきちんと把握し、時間をかけて対策をする」ことはもちろん、
「サークルの予定やバイトのシフトなどでも同じようなことが起きてない?」
と考えて、さまざまな予定管理の改善を行う。そして、また、自分の過失が出てきたら真摯に向き合うように意識して生きる。
ここまで抽象化してできたところで、ちゃんと「失敗は活かせた」というところまでくるのではないかと。思ったのです。こんな夜中にね、!
単位ほしいなあ。
英語、、、、再履、、、、、(別にいいんだけれでも)
単位ほしいなあ。
そりゃあ毎日完璧に生きられるわけではないけど、
だからといってだらけていいわけない(自戒)
頑張っていきましょう、、、人生、、、、、、
2019.7.11 むぎ
≪ 本日の1曲 ≫
この曲、本当にエモくて好きです。冒頭の歌詞とか最高じゃないですか。
「まちがいさがしの間違いのほうに 生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ きっと出会えなかったと思う」
ああ、、、(語彙力の欠如)
だれしも人生において「まちがい」の方向に進んでしまうことだらけだけれど、その道で後悔ばかりしたかと思えば、絶対そうじゃない。
自分はもう大学受験に合わせてしまうけれど、
第一志望の大学に行けなかったことは自分にとってそれ自体思い出として強烈に残っているし、でも今の大学で出会えているマブな人たちとはかかわりがなかったのかもしれない、と思うと「ああ、この運命でよかったのかもしれない」と思えています。
過去への後悔はいくらでもできるけど、
ちゃんと「今」を見つめてあげないと、ね。
語りすぎ。